2021-05-18 第204回国会 参議院 内閣委員会 第19号
今後、日本で十二歳から十五歳までと併せて十二歳以下への接種も、幼稚園から中学校までを所管する文部科学省が厚生労働省と連携し、幼年期、幼児期へのワクチン接種の積極的な推進を図るべきと私は考えております。いかがでしょうか。
今後、日本で十二歳から十五歳までと併せて十二歳以下への接種も、幼稚園から中学校までを所管する文部科学省が厚生労働省と連携し、幼年期、幼児期へのワクチン接種の積極的な推進を図るべきと私は考えております。いかがでしょうか。
そうではなくて、なぜ競争力ランキングだとか世界の時価総額の中で日本の地位がこれだけ落ち込んできているのかとか、こういうことをわざわざ申し上げているのは、まさにこの日本の今政策当局の落ち込みが、あるいはこの高度成長期、あえて、私も幼年期は三井三池の大牟田市で過ごしました。何か分からなかったんですが、たいまつがぐるぐる回っていました。
典子さんは、わずか十歳のときに最愛のお父様を亡くされましたが、御親戚やまるで家族のような御近所の皆様、そしてたくさんの御友人に囲まれ、山紫水明の地で健やかな幼年期を過ごされました。幼稚園の授業参観で、私語をする大人たちに、おしゃべりをする人は出ていってくださいとぴしゃりと言ったように、幼いころから正義感が強く真面目だったと伺っています。
そうしますと、私の依頼者でも、養育費をまた上げてほしいんだというような、大学に進学するので上げてほしいといった相談があっても、実際にそれを調停や審判まで運ぶという方は実際には少ないなと、そう思っていますので、先ほどもお話ししましたけれども、幼年期に五歳とか四歳とか決めた金額がずっと行くというのが実は養育費であったりするのかなと、ちょっと話が横にそれてしまいましたけれども、思っています。
当該記述に関連して、参考文献として記載されておりますアメリカ合衆国保健福祉省の報告書におきまして、幼年期や青年期における喫煙は重大な健康被害をもたらし、早くから喫煙を開始した者は遅く始めた者に比べて重大なニコチン依存になりやすいとされているものと承知しております。
このため、今委員御指摘のとおりでありまして、幼年期から高齢期までの各段階に応じまして消費者教育を体系的に行う必要があると考えておりますが、特に若年者の被害防止の観点からは、高等学校段階までに主体的に判断し責任を持って行動ができる能力を育むことが重要であるというふうに考えております。
ただ、一つは、ブラジルには私も大変、幼年期過ごしたこともあり、思い入れがあり、兄弟たちもまだブラジルに住んでいますので、非常に今回のオリンピックの問題も気になっております。歴代の大統領が何でああいう汚職問題が出てくるのかな、それに比べると日本の汚職は小さいなという感じがしますけれども、汚職はいいことじゃありませんから、本当に襟を正して我々も頑張っていきたいと思いますが。
に行おうと思っておりまして、この生活支援戦略は秋をめどに作ろうとしておりますけれども、先日、国家戦略会議に報告しました中間まとめでは、谷間のない総合的な相談支援体制の確立、それから、それぞれの個人個人によって状況が違いますので、伴走型、寄り添う形でしっかりと支援をしていくということ、また、経済的、社会的な自立に向けた多様な就労機会の確保、そして、おっしゃいましたように、貧困の連鎖を防止するために、幼年期
また、角度は違いますけれども、この幼年期に接種が望まれるワクチン行政なども非常に遅れているんですね。やっとHibや肺炎球菌は承認されましたけれども、これは任意接種でございますから、これも先進国では一番遅れている。国の取組というのは、更に幼児、児童に対してはかなり遅れていると思います。また、携帯電話あるいはインターネットのメディアリテラシーというものも、これもなかなか進んでいない。
ただ、私自身がその組織というものを見させてもらっている以上、よく、何か軍だけが特別に時代が過ぎてきているような感じがして、そのままつながっているというような感覚を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、しかし、同じ日本の社会のこの環境の中でやはり幼年期を過ごし、そして来ているわけで、その中で平和に対する思いというのは、これはもうこの日本の社会において、これだけ情報が多々流れ、その中で日本の国のありよう
三つ子の魂百までという言葉もございますが、この幼年期における教育というものが、まだまだ地域間でばらつきがあり、また地域の要望にこたえ切れていない。 例えば、地元のことばかりで恐縮ですが、私の地元倉敷でも、三歳から幼稚園就園を希望しても、定員を超える希望者がある場合には抽せんから外れる、そういったことで対応し切れていない。
やはり今までの対応をしくじってしまった、だからこそ幼年期の対応というのは大事だというのは私自身が体験した思いです。その中で、学校に行きたくないになってしまったんです。 私の場合は、もうこれはどうにもならないということで、実を言うと、こちらにいらっしゃいます市川先生に今現在お世話になっておりますので、梅ヶ丘病院の方に七カ月間入院ということをしました。 本人は、最初はやはり嫌がっていました。
そういった中に、いろいろ今の、我々、過去、少なくとも私が幼年期過ごした世代と、時代と比べて現在も大きな、いろんな意味での、良く言えば進歩であるし、悪く言えば解体、崩壊というものがあると思うんですが、特に最近はインターネットが本当に普及しました。
実は、私なんか今、私は東京生まれで鹿児島で育ち、トータル的には東京の方が長いですからもう都市部の人間に半分以上なっちゃっていますけれども、しかし幼年期を田舎で過ごしたもんで、田舎で過ごすと非常に、学校の行事よりも実は地域の行事が非常にありまして、私なんか実はかぎっ子で育ちましたから、余り親の教育を受けるというよりは、むしろ地域の皆さんによって非常に私は育てられたという記憶があるんですよね。
自分自身のことを過去を顧みながら思ってみましたら、食に対する自分の習慣云々はどこで育ったのかなといいますと、やっぱり小学生とか中学生、そういった幼年期だったのかなと、そんな気がいたしております。
次に、同じやっぱりこの食育、これは先ほど私も申し上げましたけれども、やっぱり幼年期、小さいうちの教育が非常に大事じゃないかと思うわけでありまして、特に今日、実は会う前に、宣伝の某代理店の方と話をする機会がありまして、彼らと話をしましたところ、何といいますか、例えばファストフード関係、これが、ファストフードというのが体にいいか悪いかということは別としまして、彼らが積極的にこの売上げを上げるためにねらう
○政府参考人(属憲夫君) 運転者教育につきましては、運転免許を取得する段階から初めて行うというのではなくて、車社会とのかかわり合いを持ち始める幼年期から運転免許取得可能年齢に達するまでの間に、少年の発育段階に応じて体験型、参加型の研修を実施することが将来の運転者の資質を培う上で大変効果があるだろうというふうに考えております。できるだけ早い段階からやることが大事だろうというふうに思います。
これも先ほどの技術の幼年期、壮年期、老年期という話をしますと、大体技術の幼年期、壮年期というのは、ある意味では、それに携わる人が緊張感を持っていてやっておりますから、いろいろな段階の技術者がそれぞれ、その設計思想を一貫してみんなが持っている、情報を共有している、だから事故が少ない。また技術も発展していくというものですが、安定が長く続いていきますと、どうも気が緩みがちになる。
そして、県議会議員を務められた父弥氏のもとで、房総の豊かな自然に囲まれ、地域の伝統と細やかな人情に包まれ幼年期を過ごし、健やかに成長されました。 長じて先生は、もっと土を知れというお父上の勧めに従って、日本農士学校に学ばれ、農は国の基礎という農本思想のもと、農業経営者としての英才教育を受けられました。 昭和十六年に同校を卒業された後、陸軍に入隊されました。
私たちが、経済の成長、景気の成長といいますか、大人が望む世界と、子供たちが生きていく、幼年期、そして小学生、中学生、青年期含めて、もっと今の世の中の状況と違うありようというものをどういうふうに論議をするのか。
だけれども、本当に恐ろしい実態の中から大人の世界にSOSを出している子供を救うためには、その前の幼年期からのメディアと暴力の多発あるいは少年犯罪の因果関係というのをもう少し突っ込んで行政も、これは行政の介入というのでなくて、行政が先導的な役割をして解析してもらいたいと思うんです。 暴力事件の本場のアメリカでは、子供と若者を巻き込む暴力は信じがたいほど広がっている。
このことを一番最初に言った人は、大分県で幼年期を過ごした福沢諭吉先生が「分権論」というのを明治十年に書いておりますけれども、福沢諭吉さんはその中で国権、国の権力を二つに分けろと。政権と治権、ガバメントとアドミニストレーション、国権を二つに分けろと。政権というのは国が集中して持つべきである。ガバメントというのはいわゆる外交、通貨、国防、これは国の権限である。